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2006/10/18 No.356 週刊メールジャーナル 読者数11649人(前回)
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いじめによる自殺報道は学校社会の本質を見ていない
いじめのない学校なんてあるはずがない
本誌編集発行人・ジャーナリスト 川崎 明
「いじめ」は、学校ばかりに存在するのではない。人間同士の本能的な葛藤
として、人間関係にはいつもついて回るものなのである。
家庭内でも、企業内でも、地域社会でも、愚にもつかない理由で、多数が少
数を、強者が弱者を差別をするのは、本能的な人間関係である。
これがいじめの根源である。つまりは、自己の生存権のために、魚類や野獣
が、自分の縄張りを守るために他者を追い出そうとたたかう本能と、ほとんど
同じ行為なのである。
人間社会の本能的ないじめは、普通、人生経験を重ねることにより消えて無
くなるものだが、逆に、競争社会での「勝ち残り」や「生き残り」を意識する
ようになると、経験の積み重ねを“生かした”、弱いものいじめが強まるとこ
ろが人間のおぞましさでもある。
いわんや、学校でいじめを無くすことなど、できるはずがない。それを、
「無かった」「認識していなかった」というのは欺瞞に決まっている。
そんな欺瞞を、承知の上で言わざるをえない「学校社会」は、現代社会の縮
図でもある。
たとえば官僚社会は、たった一人の「勝ち残り」を決めるシステムである。
だから、そこでのいじめは、歳を加えるにつれ陰湿をきわめるのだ。
官僚社会での無謬神話(間違いや失敗はありえないとする考え)は、勝ち残
りを決める重要な要素のひとつである。つまり、責任を問われることは負けて
脱落することと同義である。
安倍内閣の「再チャレンジ」が、官僚社会で、仮に可能になれば、官僚社会
のシステムは一変するだろう。
官僚社会の一端をしめる学校社会は、やはり、原則誤謬の無い世界である。
校長や教頭の責任は、原則として、問われるようなことがあってはならない世
界なのである。
まして、学校を指導する教育長や教育委員会は、文部科学省とともに、無謬
神話が絶対視される世界なのだ。
学校内で起きるいじめは、多種多様である。勉強の出来不出来、心身の強弱、
家庭の経済力、意志表示の上手い下手、弱いものいじめの原因はいくらでも存
在する。
だから、いじめは必ず起きる。起きることを前提にして、いじめに向き合う
ことが、教員たる資格の大前提である。
ところが、いじめられる弱者を庇ったりフォローすること以上に、いじめる
側、強い側に、「いじめをするな」ということが、出来ない、下手な教員が実
に多いのが現実である。
いじめる側の方が、いじめられる側よりはるかに多いのが現実なのだ。だか
ら、いじめる側を抑えるのは勇気がいるというというのが教員世界の現実だ。
いじめをきつく抑えれば、それが逆に教師のいじめとして、いじめ側の保護
者などからの反動を呼ぶことも、実際に多い。
いじめの対処が教育現場のヘビーリスクである以上、「いじめは無い」「認
識していない」のが、一番楽な保身術になる。
教育委員会に報告すれば、その“稀有”ないじめの原因や対処について、根
掘り葉掘り説明を求められる。これも実態だ。ゆえに報告は減る。
根深い問題がある。実は、いじめる側も、どこかでいじめられている可能性
が高い。家庭でか、あるいは塾か予備校でか、それとも周りからの期待に対す
るストレスの高まりか。
教員は、いじめる側、いじめられる側、それぞれの深層要因を掴み、心理的
なコンサルを、最低限、日常の生徒指導のベースとする必要がある。
近ごろの学校では、いじめを見て見ぬ振りをしている、傍観者の生徒が増え
ている。これも深刻な問題である。
いじめに対して、何らの“注意”もできない教師の存在が原因なのだが、こ
れがまた、学級崩壊などの一因にもなっているからだ。
知らん振りを決め込む生徒たちも、当事者たちと一緒に巻き混まなければ、
皆でいじめに向き合うことは絶対にできない。
こうした教員のための研修は、いじめの普遍的存在を前提にしない限り、行
なわれることはない。
いじめがないのが当たり前で、それを普通の学級経営の前提とするようでは、
いじめ対処のノウハウは育つはずがない。
いま多くのマスメディアが、担任教師や校長、教育長や教育委員会幹部の厳
重処分を主張しているが、それでは、少しも根本解決にならない。
いじめがないことを前提に、教育課程を学習してきた教員に、いじめの対処
法など、身についていないのは当たり前だ。
いま、一部の私立学校では、教師の積極的ないじめ対処を前提に、悪質ない
じめ側、常習化して補導不能ないじめ側を退校処分にしているという。
それがいいとはいえないが、そこまでやらないと、陰湿ないじめがなくなら
ないのなら仕方がない。
それでもある意味、本能的な優越感を競う、ある種のいじめはなくならない
し、それまであえて抑える必要はない。
マスメディアは、企業不祥事でもそうだが、トップと担当者の責任だけをい
いたてる癖がある。実に底の浅いジャーナリズムといわねばならない。
【あとがき】
60歳に達したころから、小学校、中学校、高校のクラス会や同期会が頻繁
に開かれるようになった。
極力参加しているが、いじめっ子、いじめられっ子が“恩讐”を超えて、飲
みかつ喰らい、そして喋るのは結構楽しいものだ。
筆者は、いじめられっ子の筆頭だった。言語に絶する赤貧から、身なりはひ
どく、生理的にも清潔とはいえなかったが、勉強成績だけは抜群だった。
最もチビで、球技や格闘技はいささか苦手だった。当然、いじめる奴は決ま
っていたが、逆に、鞍馬天狗や白馬の騎士もいたので、いじめはそれほど苦に
ならなかった。
小学5年から新聞配達をしていたので、時間中よく居眠りをしていた。しか
し、教師にはまったく叱られなかった。逆に、「起こすな」と、悪戯を仕掛け
る悪がきをたしなめていたようだ。
要するに、教師も皆を上手に引っ張っていたのだが、皆の間では、どういう
ことが良くて、どういうことが悪いのか、クラス中で自然に分かり合えるよう
に、お互いに考えていたのだ。
いまの学校社会とは、社会の条件が違うといえば違うが、勉強の場としては、
むしろ劣悪な環境条件だった。
いまの学校社会は、勉強の場としては恵まれた環境にあるのだが、家庭環境、
親の働く環境、社会経済の環境が、教師の質、学校の質を変質させ、必ずしも
恵まれた学習環境にあるといえない。
だからいまは、「いじめ」だけを取り出して問題にしても、本質的な解決に
はならないのだ。
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社内広報事業部 豊田 健一
Tel : 03-5312-7471
Fax : 03-5312-7475
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週刊メールジャーナル 2006年10月18日 第356号(水曜日発行)
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編集発行人:川崎 明 / 発行所:メールジャーナル社
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